トップページに上の写真を掲載しました。日本のいたるところで、ゴミのポイ捨てです。
このゴミのポイ捨ての本質は何でしょうか?
経験から思い出して言えることは、
- 子どものころから、ゴミのポイ捨てに、殆ど躊躇がなかった。
- 40年前ぐらいには、たばこの吸い殻を平気で車の窓から捨てていた。
- 歩きたばこで、吸い殻を路上に捨てることは、全く痛痒を感じなかった。ポケットに携帯吸い殻入れを持っている人を見て、きざな奴だと思うぐらいだった。
- 粗大ごみは不法投棄になるが、車の中のゴミのポイ捨ては、目くじらを立てるようなものでないと思っていた。
- ゴミのポイ捨てが環境に負担をかける、環境破壊に直結するという思いが、至らなかった。
- ゴミのポイ捨てが環境破壊につながることは、学校の社会科などで、お触り程度の教育を受けたかもしれないが、具体例や、人間に及ぼす影響等を、先生の熱意を感じて教育を受けた記憶がない。
- 家の中のゴミ、車の中のゴミは気になるが、外のゴミはたいして気にならなかった。
- 下のイラストのように、河川にゴミが流れていても、汚いなと思うだけで、ゴミが流れて川に入って、そのゴミのポイ捨てをしている自分が汚しているという意識が無かった。
ゴミのポイ捨てを今、客観的にみて言えることは、
- ゴミのポイ捨てが環境破壊になっている事を知ると、ゴミのポイ捨てができなくなって、周りのポイ捨てが目に入り、気になって仕方がない。
- ゴミのポイ捨てが目に入ってくると、なんとかせにゃいかんと思えてくる。
- 開発途上国はゴミのポイ捨て、不法投棄が圧倒的に多い。
- 文明国や教育が進んだ国では、ゴミのポイ捨てが圧倒的に少ない。
- 罰金等で、ルール化したシンガポールなどは、ゴミのポイ捨てが殆どない。
ゴミのポイ捨ての本質とは?
- 他はどうでもいいが、自分のところは、きれいにという完全な利己主義ではないでしょうか?
- 環境や他にたいしての、思いやり、心づかいの無さ。人間性の欠如と言っていいかも。
- 自然や環境に対しての感謝・敬意や畏怖の念の欠如。
- 自然や環境に対しての心の持ち方、行動などの教育の欠如。
これらのゴミのポイ捨ての本質を考えると、簡単に「ゴミのポイ捨てを止めましょう」と言って簡単に実現できるものではないような気がします。開発途上国に対しては、これらの本質に加え、インフラの整備を考えなければならないので、解決するには、さらに困難と思われます。
開発途上国は、別にして、ゴミの回収システム、ゴミの焼却場のインフラが整った日本で考えると、人間性の問題だったり、親や学校の教育まで、一度考えてみる必要がありそうです。
学校もなかった、学校にも行けなかった、もちろん、学問・知識を学んだこともない、文字すらかけない昔の人は、同じく文字すらかけない親からこう教えられたと言います。
- 人さまには、迷惑をかけちゃだめだ。
- お天道さまに恥じないように生きろ。
そして昔の人は、家の中、家の外にはいろいろな神様がいて、かまどの神様、便所の神様、山の神様、川の神様、田んぼの神様、畑の神様、先祖の神様、周りには、神様だらけです。それらの神様に、毎日、感謝の手を合わせていたそうです。自然に感謝し、時々、災害で人間を傷つける自然に畏怖の念を感じ、自然とバランスを取って、生きる祈りだったのでしょう。
高度な専門的学問や知識だけでは、及ばないところがあるような気がします。シンガポールのように、罰金で、強制的にゴミのポイ捨てを無くす方法もあります。手っ取り早く実現するには、一つの方法と思いますが、日本人であるならばその強制的に禁止する前に、考えてみても良いのではないでしょうか?
ゴミのポイ捨ての裏側に、人間として、日本人としての何かを問われているような気がします。
そして、この欠落しているところで、社会のあちこちで、基幹産業に使われている品質を最も重視しなければならない製品の一流企業による品質データ改ざん、決算書の虚偽記載、名門大学の傷害事件や、信用を地に落とす、医学大学での入学試験の不正な点数操作、虚偽の方便としか言いようのない、公文書の隠ぺい、公文書の改ざん、日本を代表する運送会社の詐欺行為に近い意図的な過大請求、等、等、思いもよらない、予想もできなかった事件が、次から次への起きているような気もするのです。
これらの事件を起こす人たちは、若者ではありません。知識と分別があると思われている知識人であり、経営幹部であり、官僚であり、政治家の大人です。老年に近い、熟年も含まれています。年配者が若者に、「日本人というのは・・・・」と、教えていくべき大人たちなのです。これから人生を切り開いていく若者でなく、残り少ない人生しかない、大人たちにも、日本人の精神が、無くなっているのでしょうか?バレなければ良い、儲かればいい、自分だけ損しなければ、人に迷惑が掛かっても仕方ないと考える人間に成り下がったのでしょうか?日本人の精神の継承、伝承は、すでに、絶えてしまったのでしょうか?いえ、そうは思いたくありません。
日本人のスピリッツ、日本人の魂は、一部の人には、きちんと受け継がれていると思ってます。