人間性欠如の典型では?地上92メートル、マンション31階からごみ袋やガラス瓶投棄

ゴミのポイ捨てなんて優しい言葉で表現できません。

12/25(火) のヤフーのニュースにこのような記事がありました。

マンション31階(高さ約92メートル)からごみを投棄したとして、兵庫県警灘署は25日、廃棄物処理法違反の疑いで、神戸市灘区、無職の女(43)を逮捕した。けが人はいなかった。同署の調べに、「投げ捨てていない」と容疑を否認している。
逮捕容疑は4日午前5時半ごろ、同区摩耶海岸通2の33階建てマンションの31階(地上約92メートル)の自宅ベランダから、ペットボトルや生ごみなどが入った重さ約3キロのごみ袋1袋を捨て、14日午前4時半ごろには同じ場所からガラス瓶を投棄した疑い。
同署によると、10月に署員がこのマンションに立ち寄った際、管理人から「住民が『午前5時ごろに大きな音がして、外を見るとごみが散らかっていた』と話していた。上階から投げ捨てられた可能性がある」と相談を受けた。防犯カメラの映像などから女が浮上し、捜査していた。
このマンションでは、11月にも高所からごみが捨てられた形跡が確認されていたといい、同署が関連を調べている。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181225-00000016-kobenext-l28

地上91メートルから3Kgの物体を落とすと、地上につくときには、時速151kmにもなります。時速151kと言えばプロ野球の剛速球のスピードと同じです。高速道路での制限速度が100Km、スピード違反してもせいぜい130Kです。普通のドライバーであれば、時速150kは怖いぐらいのスピードなのです。このスピードで、3Kgの物体が落ちてくるのです。

ゴミのポイ捨てなんてちょっと、許さないれないこと、悪いことをした感じでは、ありません。そんな目くじら立てなくても注意すればいいじゃないなんて反論する程度の問題ではありません。

3Kgの物体が瓶のような固いものであれば、時速150kで頭にぶつかれば、頭蓋骨が割れて即死か、瓶が割れて即死は免れても、重傷を負うことは間違いありません。地上に届くときに、時速151kmのスピードになることは分からないにしても、紙や布団を投げ捨てるのとは違って、3Kgの物体が地上に落ちた時に、人に当たったらケガをすることは中学生以上になれば、まして大人であれば、容易に予想がつくはずです。

人がけがをするかもしれないと予想がつくことを平気でやってしまいます。その予想の前に、この邪魔なものをなんとかしたい。この場所から消したい。その気持ちだけが優先し、他に対しての、人に対しての配慮を考えることなく、自分の気持ちだけ、自分の都合だけ、自分の利益だけの考えから行動をしてしまう。

まさに自己主義・利己主義の典型です。容疑者は犯行を否認してますので、この女性が犯人かどうかはわかりませんが、自然に物体が投下されることは無いので、このような行為をした人が、間違いなく、存在したのです。

このような、自己主義・利己主義の人間が存在したことは、疑いようのない、事実です。オレオレ詐欺の犯人も、 自己主義・利己主義 の典型です。神戸製鋼の製品データのねつ造から始まって、続々出てくる、最近の大企業の検査データのねつ造、こちらもあちらもの医科大学の入試試験の成績の加算・減算、一番固いはずの役所の公文書の書き換え、そして隠蔽。

これらの問題とゴミの投棄とは全く異なると思う人もいるかと思います。私は、根源には、利己主義があるという意味においては、同じだと思っています。日本人の総利己主義ではないかと思うほどです。

昔の親が、子供に「人のものを取ったらだめだよ」「人に迷惑をかけちゃダメ」「人の信頼を裏切るようなことをしちゃだめ」という単純で、素朴な教えが、無くなっているような気がします。

この単純な、素朴なことは日本で教育を受けた人は、言葉として理解できますが、自分の行動になったときに、その理解と、行動が伴わなくなっているのです。

スポーツでも、頭で理解していることと、実際の体の動きは、一致しません。反復練習によって、だんだん一致していきます。利己主義と行動も同じで、利己主義は良くないと分かっても実際の行動との乖離は、やはり小さいときからの反復訓練で乖離を無くしていくしかないのだろう。

小さいときからの親の教育、そして学校の教育に、大きな欠陥があるのではないかと思うのです。

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