ゴミのポイ捨ては、昔から?
ゴミのポイ捨ては、昔から日本での風習・文化だったのでしょうか?
昔の平安時代の写真を見ると、
高貴な貴族が蹴鞠をして遊んでいるころで、着ている衣服や、使っている道具は、すべて自然由来の材質からできていて、高価なものだったのでしょう。
この時代から、時代が過ぎて、江戸時代までは、鉄製品は、かなり進歩したのですが、科学技術という面での発展はなく、生活様式や、用いている道具の材質には、大きな変化は無かったと思われます。
江戸時代の雰囲気を出すために、江戸の長屋の写真を探したのですが、著作権があるので、下の浮世絵を見て江戸の雰囲気を感じてもらえばと思います。
この江戸時代には、ゴミのポイ捨てがあったのでしょうか?武家屋敷の通りは、ゴミが無く、商人や職人の住む長屋の近くは、ゴミのポイ捨てがあって汚かったのでしょう?
開発途上国のスラム街の近くは、住宅の周りは、ゴミで溢れかえっていますが、同じように、ゴミで汚かったのでしょうか?
今現在、私たちが、ゴミのポイ捨てを問題としてますが、拾い集めているゴミを観察してみます。
私が住んでいる町の近くの道路や、1時間ほどで集めたポイ捨てゴミです。
これらのゴミは、道路に散らかっている下のようなゴミもあります。
これらのゴミは、すぐに拾えて拾い集めることは容易ですが、殆どは、紙かレジ袋やお菓子の袋のプラスチック製品です。住宅街や住宅街を通っている道路のゴミは、さほど多くありません。住宅街で一番多いゴミは、たばこの吸い殻のポイ捨てです。
タバコの吸い殻のポイ捨ては、至る所にありますが、特に、多いのは、駅の周辺です。電車や駅構内は、禁煙が徹底してきたので、電車から降りて、駅を出た途端、たばこに火をつけ、吸い終わったらポイ捨てする構図が多いのだと思います。
問題は、住宅の少ない、人目が付きにくい道路です。左の写真のように、「愛知県尾張建設事務所」では、道路環境を守るために、「ごみを捨てないで!!」とこの看板を数十メートルおきに立てて、ゴミのポイ捨てをしないように、注意喚起しているのですが、ゴミのポイ捨てをする人には、このお地蔵さんは目に入らないようです。
目には入っているのでしょうが、無視しているのでしょう。公共心や社会道徳なんて関係ないと思っているかもしれません。ともかく、今自分が持っているゴミをどこかに捨てたいのでしょう。
車のタバコの吸い殻入れダッシュボードをそのまま、ポイ捨てしたもの、ペットボトル、段ボールの切れはし、缶ジュースの空き缶、コンビニの弁当の空容器、犬を散歩させて犬が糞をしたものは、ビニール袋に入れたもの、時には、使用済みのコンドームなど、まさにいろいろのゴミが投棄されています。
ゴミを拾って持ち帰る時に、一番困るのは、持って帰れないほどの大きさと、多さと重さです。手で引っ張るキャリアには、45リットルのゴミ袋には、せいぜい、10Kg程度しか入りませんし、数キロメートルの距離を引っ張って帰るのは、体力的に無理があります。
時には、冷蔵庫や、電気掃除機、ヘアードライヤー、CDプレイヤー、キャンプ用品のバーベキュー用のプレート、壊れたパチンコ台、車のバンパー、箪笥や本箱など車で運べるものは、すべてと言っていいくらいです。これらの使わなくなったものだけでなく、ビニール袋に入れた犬や猫の死がいもあります。左の写真などは、ゴミを捨てるなという看板の目の前に捨てるのですから、何にも負けない、自分の欲望は必ずやり通すという、強い精神の持ち主なのでしょう。
本箱を分解して投棄したゴミですが、ゴミ袋に入れて持ち帰ることができない、困ったゴミです。車で持ち込んで投棄するようなゴミをポイ捨てゴミと称するかは疑問があります。ポイ捨てなんて、かわいい表現は、合いません。タバコの吸い殻のポイ捨ては軽犯罪法で処罰されても良いと思いますが、車で持ち込んだごみは、廃棄物の不法投棄で、「 廃棄物の処理及び清掃に関する法律」に該当して、 「5年以下の懲役または1000万円以下の罰金」 で処罰されてもいいとは思います。処罰の方法は、別にして、これまで見てきたゴミの種類は、このようになります。
ゴミの種類
・生ごみ(食べ物)
・衣類(服・マスク・手袋・靴下)
・紙製品(ジュースの空箱・新聞・ティッシュ)
・プラスチック製品(ペットボトル・レジ袋・弁当などの容器・靴)
・アルミや金属(ジュースやビールの空き缶)
・ガラス(空き瓶)
・電気製品(冷蔵庫・ヘアードライヤー・電線)
・木材(箪笥・本箱)
最初に戻って、平安時代から、江戸時代の昔は、ゴミのポイ捨てがあったのかを考えるときに、現代のごみと同じものが無かったか、同じ材質のものは、再利用されていたと思われるのです。当時、プラスチックというものはありません。プラスチックで現代は便利なものが発明されて生活が豊かになっているわけですが、昔は、このような便利なプラスチック製品は全くありませんでした。製品が無いのですから捨てたくても捨てることができません。
現代と同じ材質と言えば、生ごみ、衣類、紙製品、木材ですが、当時、紙は貴重なもので、使えるだけ使ったら、トイレットペーパー替わりか燃やして燃料の役に立てていたのです。同じく、当時の燃料に石油や、石炭はありません。木材だけが燃料となっていたわけです。木材一切れも、無駄に捨てることなく、箪笥や本立ては修理してでも、使えるだけ使って、どうしても、使えなくなったら、燃料として役に立てていたわけです。
それでは、生ごみや、糞尿はどうしていたか調べたところ、有機肥料として農家の人が引き取り、この引き取りも積極的な引き取りで、引き取り料を置いていくか、取れた農作物を引き取り量の代わりに置いてきたようです。生ごみや糞尿もリサイクルされていたわけです。考えてみれば捨てるものが無かったのです。捨てるものが無ければポイ捨ても起きません。理想的なリサイクル社会が作られていたことになります。昔の人に公衆道徳感があって、ゴミのポイ捨てをしなかったというわけでもなく、捨てるものが無かったということになりますが、ごみを捨てたらダメという意識が全くなかったわけでもなさそうです。江戸時代の落語に、丁稚が街を歩くときには、ゴミを拾うように教えられたとありますので、見つけたごみは拾わなければならないという道徳心はあったと思われます。
それでは、人は、いつからゴミのポイ捨てに無神経になったのでしょうか?
このゴミのポイ捨ての歴史の研究は、お金になるわけでもなく、学術的な価値も認められないので、研究のデータは殆どありません。日本では、第二次産業革命の明治以降、特に、大量生産、科学技術の進歩により、プラスチック製品が大量に出回り、使い捨てが一般的になってきて、それと同時に、ゴミのポイ捨ても広がってきています。江戸時代のキセルでのたばこは、無くなり、携帯できる紙巻きたばこが一般的になると、どこでもタバコが吸えるわけです。吸ったタバコの吸い殻はその場で、捨てることが普通で、家や人の集まるところでは、灰皿が用意されていれば灰皿に入れるし、屋外では、灰皿があろうとなかろうと、そのまま捨てることに何の抵抗もありません。外で仕事をしていたり、戦争している戦闘中に、タバコの吸い殻を、どこに捨てようかなんて考えることは一切ありません。そのまま、捨てるだけです。ポイ捨てが悪いという認識は全くなくなっていたのです。もちろん、公害と言われて、人体に重大な影響を与えるた、水俣病、イタイイタイ病、カネミ油症、四日市ぜん息(喘息) 四日市の公害は、大きな社会的問題として、昭和時代に、原因解明や、対策等が打たれてきましたが、ゴミの問題は、これらの公害の次に取り上げられてきましたが、ゴミのポイ捨てについては、置き去りにされていた感があります。
近年、先進国で、環境についての色々な規制や、国際連合での取り組みによって、ゴミの問題がクローズアップしてきたと言えるでしょう。世界遺産と言われている観光名所でも、観光客のゴミのポイ捨てはあったのですが、先進国の世界遺産では、環境に特に配慮するようになりました。自動車での立ち入りを禁止したり、入場できる人数制限をしたり、外来の種子を持ち込まないように、靴の底を洗って入場させたり、現在の環境を守っていこうという明らかな姿勢が出てきました。そのような、場所でのゴミのポイ捨ては、当然許されることではありません。特別な場所でのゴミのポイ捨ては悪いことだということは理解する一方、普通の生活の場では、歩きながら道路へ、車窓から窓の外へゴミのポイ捨ての罪悪感は、残念なことに大半の人にありません。その延長で、人の目の少ないところでは、家のゴミをもってきて投棄することも、平気で行う人も多いのです。
産業革命で、大量生産、大量消費になって、ゴミのポイ捨てが広がって行ったのですが、科学技術の発展と、人間性の成長との齟齬が大きな要因で、これからは、そのギャップを埋めるべく、環境と人間性にスポットを当てて、研究をしていく必要があります。この人間性は、近代社会において、学者の皆さんがもっと追求していく課題のような気がします。