日本人が狂ってきた(元フジテレビアナウンサーの男が逮捕)
フジテレビにアナウンサーとして 、「小川宏ショー」「3時のあなた」の司会などを経てスポーツアナに転向し、 約34年間 勤務 後に、 妻の実家の同寺の住職に転身した 73歳の 結城思聞(ゆうき・しもん) 氏が逮捕された。
逮捕容疑は11日午後0時56分、姫路市内の民家の駐車場に止まっていた市内の男性(26)が所有する乗用車(トヨタ・パッソ)のボンネットに、持っていた鍵で長さ約30センチに渡る線状の傷をつけたとのこと。
そのお寺を調べると、 兵庫県姫路市の善教寺とのことなので、HPを見ると、 http://www1.winknet.ne.jp/~zenkyoji/ 住職の顔がアップされている。
ホームページには、
現在全国で一二〇〇〇余りが無住寺となっており、葬儀では直葬、一日葬が公然と行われるなど、お寺をめぐる状況は大変厳しい。
http://www1.winknet.ne.jp/~zenkyoji/
そんな逆風の中で、善教寺は「楽しくなければお寺じゃない!」をキャッチコピーに、法事や葬儀だけでなく、親鸞聖人お誕生を記念しての「ソフトボール大会」や、小規模作業所の人達や小さなお子さんと一緒に聴ける「福祉コンサート」、そして一般の方々への「サロンコンサート」を開催。
毎月第三土曜日に開いている「サロン・ド・アミダ」では、住職の法話と広く各界で活躍されている講師をお招きして講演を行っている。
http://www1.winknet.ne.jp/~zenkyoji/
また二〇一四年に「NPOはりま子どもの未来を守る会」を設立して、夢前町産業廃棄物最終処分場建設反対運動を初め、元プロ野球選手を招いて地域のこどもたちの野球教室を開催したり、現役スポーツ選手による小児病棟の慰問で入院中の子供達を激励するなどの活動をしている。 仏教に、浄土真宗にご縁のない皆様もどうぞお気軽にご参加下さい。
と、紹介されており、なかなか立派なお寺のように見受けられるが、住職になって、すでに、10数年、社会性の高い、アナウンサーという前職から、人の道を説く仏教界に身を置いていて、10代の若者ならいざ知らず、すでに、73歳という高齢であり、余命は残り少なくなっている、社会性も、分別も、十分に備わっていて、人の尊敬を集めるべき人間が、なぜ、このような愚行をするのだろうか?
どんなに年をとっても、怒りや、イライラの感情は時として起きるだろう。金銭欲や、名誉欲、人によっては、性欲などの欲望もあるだろう。孔子の論語には、「七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」とある。 70歳になったら自分の心のままに行動しても人道を踏み外す事が無くなる。ということだが、孔子の論語は、一般の人に対しての教えであって、社会性の高い職業や、人の道を説く宗教界に身を置く人のことを言っているのではない。
心の欲するところに従っても、矩を超えずと言えども、普通の人間には、瞬間的に、感情から来た行動を抑えきれない状態や、欲望に身を駆られる瞬間があろうかと思うが、その行動が、どういう結果を及ぼすのか?社会的にどのような結果になるのか?最悪は、社会的な信用が無くなり、家族や、親類に大きな迷惑をかけ、社会的に抹殺される恐れがあるのではないかと、思いを走らせると、行動にブレーキがかかることが一般的なのではないだろうか?
結城思聞(ゆうき・しもん) 氏 は、何を思って人の車に傷をつけたのだろうか?付近では、同じような事件が50件ほどあって警戒中の警察官に現行犯逮捕されたとのことで、普通に考えると、あちこちで、車に傷をつけていたようだ。
何が面白い?何が楽しい?どこが興奮する?分からない!!!!
最近、訳の分からない事件が起きている。
【くら寿司】刺し身をゴミ箱に投げ入れた動画を投稿し炎上
「すき家」のアルバイト店員による氷の投げつけや、おたまの股間へのあてがい行為などの悪ふざけ
セブンイレブンのアルバイト店員が、おでんの白滝を口に入れて出したり、踊りながら商品のたばこを触ったりしている動画が流出し炎上
これらの事件も訳は分からないが、拡散炎上させることを楽しんだり、広告代を目当てにする、馬鹿な若者特有の愚行だということで、絶対に許せないことではあるが、それなりの理由があるのだろうと、推測できるが、この 結城思聞(ゆうき・しもん) 氏 の事件だけは、どんなに好意的に見ても、全く理解できない。この事件をお寺の檀家の人は理解できるのだろうか?この住職の法話を聞きたいと思うのだろうか?家族の葬儀の時に、この住職にお経をあげてほしいと思うのだろうか?月命日に、自宅に来てもらってお経をあげてもらいたいと思うのだろうか?ちょっとした出来心からやった行為なので許してあげようと思うのだろうか?
しかし、よく考えてみると、分別盛りの年寄りが、訳の分からないことをする事件があまりにも多い。
- 一部上場会社でかつ、歴史のある神戸製鋼の品質データ改ざん
- KYBによる免震・制振用ダンパーの不適切検査
- 大手金属メーカー「三菱マテリアル」のグループ会社「三菱電線工業」が、製品の検査データを繰り返し改ざん
- 東京医科大の医学部入試での不正採点操作
- 18年3月、財務省理財局による公文書改ざん
- 厚労省が作成している「毎月勤労統計調査」 のデタラメ調査
これらを実行した人たちは、若者ではありません。想像するに大学を出て、職場で、教育も受け、経験も積み、社会的に尊敬を受ける職場で、知識もあり、分別もあり、これらの不正が表に出てこなければ、社会での成功者に評価され、この人たちの発言には、一定の重みさえあるのでしょう。これらの分別のある役職者が、してはならないことを、バレなければという思いで、してしまう。
ここで思い出すのが、 「什の掟(おきて)」 というものです。会津藩では藩士の子弟を教育する「什(じゅう)」という組織があり、6歳から9歳まで10人前後の集まりで、年長者が一人什長と呼ばれるリーダーとなった。什では毎日順番に、仲間の家に集まり、什長が7カ条の「什の掟(おきて)」を読み上げる。
一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言を言ふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
今の時代、1番、2番はさほど重要でなく、6番と7番は、時代に合わないと思いますが、3~5番は、通用するのではないでしょうか?いやどのような時代になろうとも、日本人であれば、絶対に必要なことではないでしょうか?
人間としての最低の必要なことが、日本の教育から消えてしまっているのではないでしょうか?社会に出て、因数分解を使うことは専門職でなければ必要ありません。微分・積分ましてや確率などは全く使いません。で、小学校の教育目標を見ると、
- ①「心の教育 豊かな心」
- ②「健 康 体力」
- ③「思いやり」
- ④「自ら学ぶ力 自己学習力」
- ⑤「生きる力」
なのです。実に立派です。立派すぎます。しかしながら、これはお題目で、実態は、知識偏重になっているのではないでしょうか?学校でのいじめや登校拒否は一向に減りません。最近では、親が子供を虐待して死に至る事件が起きてます。思いやりの心があればいじめや虐待ができるのでしょうか?ハッキリ言えば、小学校の時から、建前と本音が混同して、この建前と本音をづるがずるがしこく使い分けるような教育になっているのではないでしょうか?
昔の親はよく言っていたような気がします。
- 人のものを盗るな
- 人に迷惑をかけるな
- 嘘をつくな
- 弱いものをいじめるな
単純なことですが、高邁な教育論を振りかざすのではなく、昔の親が言っていた言葉に、改めて心にとめるような方法を考えませんか?そして後一つ付け加えるとしたら、世界の人から笑いものにならないような日本人になるために、何が必要か?ということです。
元フジテレビアナウンサーで兵庫県姫路市の善教寺住職、松倉悦郎容疑者(73)が11日、同県警姫路署に器物損壊の疑いで現行犯逮捕されてから、警察の取り調べが進むと、いくばくかの情報が出てきました。
松倉容疑者は当初、犯行を否認していたが、「しょうもないことをしてしまった。傷を付けてしまいました」と供述し、取り調べにも素直に応じているという。
一方で、 松倉容疑者の妻は11日、サンケイスポーツの取材に「事情が分からない。長らく鬱病を患い、回復と悪化を繰り返していた。認知症ではないかとも医者から言われていた」と明かしている。 認知症の人間が、当初、
「しょうもないことをしてしまった。傷を付けてしまいました」と供述 するだろうか?認知であれば、少し前にやった自分の行為も忘れてしまうのが一般的で、認知症であれば、色々な思いもよらない行為をすることが想定され、家族も監視を強めていかなければならない状況に陥っていくのが、普通ですが、連続して50件ぐらいの車に傷をつける行為は、普通の認知とは思えません。意図的なものがあったのか、傷をつけることに快感を感じていたのか、抑うつされた生活で、鬱病的な状態で、ストレス発散に効果があったのか、専門家の分析を待つ必要があると思いますが、小さい時から、物心がつく頃から、昔の親が言っていた、「人のものを盗るな」「人に迷惑をかけるな」「嘘をつくな」「弱いものをいじめるな」という単純な道徳観が身に沁みこむような幼少期を送っていたのであれば、老人になっても、認知症になっても、人の道を誤る可能性は、少なくなるような気がします。
今の、日本が取り戻さなければならないことは、昔からのシンプルで、だれもが理解でき、日本人の躾けだと思います。