社説の欺瞞に辟易
尊厳を傷つける捜査だ
愛媛の誤認逮捕
2019年8月12日中日新聞より引用
読みにくいので文字を起こします。
愛媛県警が七月に窃盗の疑いで女子大生を誤認逮捕した。犯人と決めつけ「就職」を持ち出して、自白を迫った。尊厳を傷つける人権侵害である。自白を強要・誘導する取り調べから脱却すべきだ。
事件は今年一月九日。タクシー内から現金約五万四千円などが盗まれた。同県警はドライブレコーダーに写っていた犯人と顔が似ているなどとして、女子大生を七月八日に窃盗の疑いで逮捕した。だが、勾留請求が認められずに、同月十日に釈放されている。
そもそも女子大生はタクシーには乗車していなかった。代理人弁護士が今月一日に女性の手記を公表した。その中では取り調べで捜査員が就職への影響を示唆し、自白を迫ったことが綴られている。
「就職も決まってるなら大ごとにしたくないよね」 「君が認めたら終わる話」 「認めないと終わらないよ」などと・
女子大生は一貫して容疑を否認して、「本当の犯人を捕まえてください」と訴えた。でも「犯人なら目の前にいるけど」と決め付けた態度だった。タクシーに乗車していないことも「記憶ないの?二重人格?」 「罪と向き合え」などと一蹴するありさまだ。
問題なのは取り調べの在り方と裏付け捜査の不十分さだ。強く否認しているのに「刑事全員が私の話に耳を傾けなかった」ことは深刻だ。自白があれば簡単に事件処理ができると考えたのなら甘すぎる。
「就職」という大学生が最も敏感な言葉を使って自白を迫るやり方は卑劣に感じる。不利益方向への誘導にあたろう。
五月から警察の呼び出しにも素直に応じてきた。逃亡の恐れもない。そもそも逮捕は必要だったのか。手錠をかけられたショックはいかばかりか。
再捜査で別の女性が浮上し、容疑を認めた。県警本部長は「大変申し訳ないことをした」と謝罪した。愛媛県知事も「重大な人権侵害だ。人生すら狂わせかねないことだ」と批判した。女子大生は「もし勾留されたら、耐えきれず自白の強要はそれほど恐ろしい。不適切な取り調べをチェックできるのが録音・録画(可視化)だが、警察の場合だと裁判員裁判の対象事件のみだ。全事件のたった3%。不十分である。ボイスレコーダーを置くだけでも効果はある。全事件を対象にすべきだし、任意段階も可視化しないと、安易な捜査を招いてしまう。
指摘はその通り。おっしゃる通りです。弱者の立場にたって、尊厳を傷つける人権侵害だと、権力を持つ警察の糾弾をしています。でも、よく考えてほしい。この種の警察の誤認逮捕、自白強要は、相変わらず続いている。そのたびに、新聞や評論家は、そのツールを使い、警察を糾弾する。この構図は、全く変わらない。私が社会的関心を持った数十年変わらない。
その都度、問題提起だけして、問題だ!問題だ!尊厳を傷つける!人権侵害と繰り返す。そして、警察は、捜査方法や、取り調べ方法に明らかな過ちがあると証明された場合のみ、お詫びのコメントを出す。その繰り返しで、何も変わらない。
新聞やメディアは本当に、弱者の味方だろうか?警察に問題があり、改善の必要アリと言いながら、本気で、変えさせようとしていない。警察もそれが分かるから、新聞やメディアに圧力をかけない。警察を本気で変革されたら警察としては、困るのです。現状のままが一番いいのではないのだろうか。そして、新聞、メディアもその繰り返しの方が、楽なのではないだろうか?同じことを繰り返していれば、仕事になる。書くネタがつきない。
思い出してほしい。袴田事件で、自白を強要され、死刑の判決を受けて、40数年刑務所暮らしをさせられ、毎日毎日、死刑執行の恐怖で、袴田さんの人生は、拘禁症も残る非残なものとなったことを。
自白を強要し、しかも重要な証拠を裁判半年後に、変更し、明らかなねつ造までして、冤罪を作った人たちが責任を取っただろうか?警察、検察は誰も責任を取らない。裁判で、死刑の判決文を書いた、熊本判事だけが自責の念で、裁判官を止めて、後に、袴田事件の冤罪を訴え、救済活動をするという、誠に奇妙なめぐりあわせと言わざるを得ないが、この熊本判事も裁判官の職を失い、収入の道も閉ざされて、不遇の人生を送ることになった。
警察は、なぜ取り調べの可視化をしないのか?警察は弁明するでしょう。予算が無いと。もしそれが事実であれば、いまどき、ボイスレコーダーの購入予算を付けない国会議員を糾弾すべきではないでしょうか?
たかが、数千円のボイスレコーダーの購入予算が取れないことはありません。高精度のビデオレコーダーをすべての警察署に複数台置く予算は、私の知識では、判断が付きません。
これらの可視化をまず実現させるために、新聞やメディアは何をすべきかということです。弱者の味方のふりをして、騒いでいるだけでは、何事も変わりません。
取り調べの可視化が実現すれば、自白強要や、冤罪は、少なくなるかもしれませんが、本質は、別にあります。可視化をしても、警察の都合のいい部分だけをつなぎ合わせて、都合の悪い部分は、編集してしまえば、これは逆に恐ろしいことになります。取り調べを受けている人間は、弱い立場にあり、警察の取り調べの誘導に従ってしまうこともあるのです。可視化だけが対策ではありません。
本質的な対策は、明らかな冤罪、自白の強要、暴力的な取り調べがあった場合は、警察や検察にその責任を取ってもらうことです。
警察も、検察も、業務上の過失は責任を取ることを避けています。民間企業では、業務上の失敗でも、責任を取るのです。ハッキリ言えば、公務員だけが、失敗の責任を取りません。公務員であろうと、特に警察、検察は、あきらかな業務上の失敗でも、責任追及の法整備をしなければならないのです。
この法整備に対しては、国会議員も手を入れたくないのです。なぜなら、警察に睨まれたくないからです。自分の票にならないからです。しかしよく考えてください。ここに新聞やメディアの価値があるのです。新聞やメディアが粘り強く追及するから、国会議員は、法整備をせざるを得なくなるのです。個人が追求すべき問題ではありません。
そして、新聞や、メディは、その法整備に抜け道が無いように監視の目を光らせることも忘れてはなりません。新聞やメディアの社会的使命はここにあると思います。これが実現して、初めて、近代的な警察や検察に生まれ変われると思うのです。申し添えておきますが、すべての警察官、検察官が同じように、自白強要や無責任な取り締まりをしているとは思いません。ごく一部の古い体質を持った人が、時代劇に出てくる悪代官の素養があるのでしょう。その一部の悪代官のような警察や、検察官が、冤罪を起こしているのでしょう。ほんの一部だけでも、許されるものではありません。ほんの一部の人が、全体の信用を貶め、全体としての評価を落としているのです。
しかし、ここまで、書くと、私、個人が古い体質から脱皮できない警察官より、余計なことを言って、癪に障る奴だ、そして目の上のたん瘤に感じて、嫌がらせや冤罪で、逮捕される恐れもありますが、プラスチックのゴミを無くして、後世の人たちの健康や、安全を第一に考えていると、一部の悪代官からの脅しによる恐怖より、マイクロプラスチックの恐怖の方が大きいのです。