ペットボトル1万2000本回収

藤前干潟周辺製造者側も参加

2018年12月16日 中日新聞の記事について

読みにくいので、テキスト文で、紹介します。

藤前干潟の近くに流れ着いたごみを集める人たち=15日、名古屋市港区で

 名古屋市港区の藤前干潟周辺に大量のペットボトルごみが漂着した問題で、市民ら百十人が十五日、現地を清掃し約一万二千本のペットボトルを回収した。製造会社でつくる業界団体 「PETボトル協議会」(東京)も問題を知って初めて参加。浅野正彦事務局長(五七)は「衝撃的な量。リサイクルが進んでいるとはいえ、ポイ捨てを防ぐ啓発が重要と実感した」と話した。
 NPO法人や大学でつくる実行委の呼び掛けで、住民や企業の従業員、学生が集まり、干潟へ注ぐ新川の河原を埋めるごみを拾った。十月に続き二度目の活動ながら、ペットボトルや発泡スチロールなどが四十五リットルごみ袋で三百六十袋、瓶や缶も九十六袋に上った。同市緑区の主婦(四七)は 「便利を追求しすぎる世界から変わらないと」と話した。
 大量のペットボトルごみは九月、台風の高潮で一帯に流れ着いた。市民有志や河川を管理する国土交通省が撤去した総数は今回を含めて約十九万本。量が多く、まだ一部残つているため国交省が今後も撤去する。

驚くほどのペットボトルです。新川やほかの川から流れ込んだペットボトルやプラスチックのゴミが、藤前干潟周辺や新川の河原に流れ込んでいるのです。このプラスチックごみを45リットル入りのゴミを、合計約450袋回収されたとのこと、本当にご苦労様です。

浅野正彦事務局長の「衝撃的な量。リサイクルが進んでいるとはいえ、ポイ捨てを防ぐ啓発が重要と実感した」とのコメントは、まさに同感で、実に適切なコメントと思います。それに比べ、主婦の方のコメントは、「便利を追求しすぎる世界から変わらないと」で、よく理解ができません。ポイ捨てをすることが便利で、この便利さから世界が変わるべきとも取れるのですが、もしそうであれば、ポイ捨てを便利という考えに嫌悪感さえ感じます。

この主婦の方は、ポイ捨ての便利さということより、プラスチック製品の便利さに、本当にこのままプラスチック製品を作って使って良いのだろうかという警鐘かと思いますが、これだけ身の回りにプラスチック製品が出回り、その便利さを享受している現代生活に、ドラスチックにプラスチック製品を無くすことは、すぐにはできません。せいぜい、世界の有名なコーヒーショップチェーンやファーストフード店がプラスチック製のストローを廃止しようと運動が始まっているぐらいです。

坊主に憎けりゃ袈裟まで憎いの例えのように、プラスチックごみがあまりにもひどいので、プラスチック製品が憎いと同じで、プラスチック製品が悪の根源のように言われていますが、そうではありません。プラスチック製品は現代の生活に非常に便利なものなのです。もしプラスチック製品を全廃したら、50~60年前の生活に戻らなければなりません。

ペットボトル1万2千本回収のペットボトルは、ペットボトルだけを川に大量放棄したのではなく、上流の広い範囲で、町の道路や、公園でポイ捨てされたものが、また、運転中に窓から外へポイ捨てされたものが、大量の雨で流れ着いたものなのです。なかには、車の中から、車の中のゴミを人気のないところで、大量に捨てることもあるでしょう。しかし、大半は、歩いているときや運転中や、遊んでいるときに飲んだ飲料水のプラスチックボトルを、あまり考えることもなく、そのあたりにポイ捨てしているものが、川や海に流れて大量なプラスチックごみとなっているのです。

プラスチックのボトルや、ビニール、発泡スチロールなどのプラスチック製品に罪はないのです。罪があるのであれば、それははっきり言って冤罪です。

本当に罪を問わなければならないことは、プラスチックボトルや、プラスチック製品、そしてゴミをポイ捨てする人間です。

これだけゴミがあちこちで、捨てられていうので、このゴミの回収は、続けていく必要がありますが、ゴミの回収だけをしていたら、この仕事は永遠に続きます。ゴミの回収が大きな経済的メリットがあるのであれば、永遠に続けたら良いと思いますが、多くのボランティアが、汗を流してゴミの回収を続けることは、環境に対しての認識を新たにしたり、ボランティア同士の連帯感や友情をもたらすことは、副次的に期待はできると思いますが、ゴミの回収を永遠にやることは生産的ではありません。ゴミの回収をしなくていいようにすべきなのです。そのためには、ゴミのポイ捨てを無くすようにしなければなりません。

どうしたら、このポイ捨てを無くすことができるか、この前向きの議論と実行こそが必要だと思うのです。

この認識を、皆さんと共有したいものです。

 

 

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