貴重なご意見を頂きました。

2020年1月9日に、当サイトにご意見を頂きました。ご意見を頂いたのは、神戸で、ゴミ拾い活動をしている牧さん依頼の二人目です。

牧さんの活動は、素晴らしく、このサイトでも取り上げましたので、こちらのページをご覧ください。

今回、ご意見をただいた方のお名前は、なべっちさん。九州在住とのことです。

なべっちさんからのご了解を頂きましたので、ご意見とその返信を公開させていただきます。

お問い合わせではありません。
私は常日頃から街中のいたるところにゴミがポイ捨てされていることに悩まされている者です。

ごみのポイ捨てのないきれいな世界に行きたいといつも考えています。どんなにお金があってもゴミだらけの世界で生きていては幸せではないし、ゴミの落ちていない世界なら多少貧しくても幸せだと考えてます。

車の運転中ペットボトルやレジ袋等道端に落ちていたら、たとえ後続車がいても車を止めてついついゴミを拾ってしまいます。うしろの人は迷惑でしょうけど、それでもそうするのは「おまえらももっとゴミのポイ捨てに問題意識を持て!」と言いたいからです。

昨今マイクロプラスチックによる海洋汚染が問題となっており、レジ袋やストローの使用を止めようといった動きになって来ていますが、それらを悪者にする前にまず、それらをポイ捨てする(或いは落ちてても拾わない)奴らのことをなんとかしてくれと、行政やマスコミには言いたいです。レジ袋やストローは大変便利なモノで、それらを安価に製造してくれる業者に敬意を表したいくらいです。それらのポイ捨てを無くしても尚、それらを焼却するために発生するCO2が多すぎると言うのなら、それらの使用を止めることも仕方が無いでしょうけど…。ともあれ、飲酒運転撲滅!暴力団壊滅!核廃絶!などと世間で声高に叫ばれても、ゴミのポイ捨て撲滅!とはなかなかマスコミもとりあげてくれません。(前の3つについては、ちょっとくらいなら許容できると個人的には考えていますが。)
 前置きが長くなりましたが、私の申し上げたいことは貴団体の「ゴミのポイ捨て絶対ダメ!」という名称(?)の「絶対」という言葉についてです。

申し上げたように私自身、ゴミのポイ捨てのない社会の実現を切望しておりますが、「絶対」という言葉には抵抗を感じます。自身でもやるつもりのないことや自制しようと思っていることでも、「絶対禁止」と言われると自由を束縛されるようで嫌ですし、また現代社会は個人情報保護法、ストーカー規制法、監視カメラ等、失言問題、あおり運転問題等々、枚挙に暇がないほど窮屈な縛りだらけです。ですので、「絶対」という強制的な言葉でなく、別の人々の自発的な良心に訴えるような言葉が良いと思います。(と言っても、具体的な代替案は思い浮かびませんが…。)
勝手なことを申し上げて申し訳ありません。ゴミだらけの世の中で、貴団体のような会が存在するのが救いでもあり、希望でもあります。現在は自身の暮らしに余裕がなくお力にはなれませんが、いつか何かの形でご支援できればと思います。どうぞこれからも活動頑張って下さい。それでは失礼いたします。

ポイ捨てゴミに対して、なべっちさんのように、何とかせねばという思いで、行動されている方が見えることに、まず、勇気づけられる気持ちがしました。その次に、当サイトの名称の「絶対ダメ」の絶対に、なぜダメなの?と違和感を持ちました。強く勧めるつもりではありますが、脅迫したり、罰則を科すこともできないので、必ず、必ず守ってね。というつもりの「絶対」という意味なので、この絶対に、抵抗感を持たれる場合があることに、人というものは、十人十色、独善的な考えは、ダメということを思い知らされたのです。

絶対ダメと上からの教育的なやり方でなく、なべっちさんは雰囲気を作って、皆に悟らせて変えていく方法を取られる方なのでしょう。どちらかと言えば、性善説をお持ちの心の優しい方だと思いました。

それで、以下のような返信をしました。

なべっちさん

ご提案のメールをいただき、ありがとうございます。
貴重なご意見として承りました。

同じ志を持っている方が見えることに非常にうれしい思いです。
レジ袋やストローが悪いのでなく、それをポイ捨てする人間が悪いということを学者や知識人やメディアは言いません。なんと本質を見抜けない人が多いことに愕然としますが、それが現実です。
この本質を見抜いていられるなべっちさんに敬意を表します。
ニュース解説で有名な池上彰氏ですら、プラスチックに関しては、ポイ捨てを無くすことが大切とは言ってません。通り一遍の3Rのことだけです。

ほとんど毎日ゴミを拾っていますが、一番多いのが、たばこの吸い殻です。
吸い殻には、フィルターがついていてこのフィルターはブラスチック成分で、
そのうちに、川や海に流れてマイクロプラスチックになります。
煙草を吸うほとんどの人が、吸い殻をそのままポイ捨てすることに
何の痛痒も抵抗も感じていないことが現実です。

何とかして、このごみのポイ捨てを無くしたいと思いながら、人に強制できるものでもなく、まずは、率先してゴミを拾うことしかできていません。背中に「ごみのポイ捨てを無くし隊」とゼッケンをつけて、同感してくれる人が一人でも現れないかと思ってますが、
ご苦労様とは声をかけてくれますが、近くでは、同感して同じ行動を起こしてくれる人は、一人もいません。

絶対という言葉は、きついのですが、人の命を奪っては絶対にダメなように、
ゴミのポイ捨ても絶対にダメだと思います。
会津藩ではありませんが、「ならむものはならぬのです」と思ってます。
強い気迫をもってことに当たらないと中途半端になる恐れも感じてます。

それでも、「絶対に」ということばに、違和感を覚えられる人が見えることは、
心にとめて、活動を続けていきたいと思います。

ひとつ気になったことですが、後続の車を止めてゴミを拾われるとのこと、
気持ちはわかりますが、己の安全が第一です。体が動いて初めて継続します。
なにとぞ、安全第一でお願いいたします。

長々と書きましたが、ごみのポイ捨てを無くしたいという思いは同じだと思います。
場所は違えど、それぞれの場所で、お互いに継続していければ、諦めなければ、
そのうちにわずかでも同感者が増えていくことと思います。
そして、子孫に悪影響を与えるマイクロプラスチックの減少に少しでも
役に立てば良しと思っています。

私の返信に対して、嬉しいことになべっちさんよりさらに返信を頂きました。

なべっち表記の件了解致しました。
SNSに疎いので私のメールがどのようなかたちで使われるのかわかりませんが、ゴミのポイ捨てを無くす活動に少しでも貢献出来るのであれば、「なべっち」以外に個人を特定出来る情報を出さないことを条件に了承致します。
また、私の「絶対」と言う言葉を使う事に抵抗を感じることに変わりはありませんが、強い意志を持って活動しておられることに敬意を表して、宮崎さんが「絶対」と言うことを尊重します。

煙草の吸殻は本当に多いですね。私の住んでる福岡県は、「九州男児は細かいことは気にするな!」という風土がいまだに残ってるせいか特に多いような気がします。私も以前はタバコのポイ捨てを見かけたらよく注意してましたが、ガラの悪い奴だとトラブルになることと、自分はポイ捨ては絶対と言ってもいいくらいやらないけど(敢えて絶対とは言わない☺️)、それ以外の素行(例えば交通マナーとか😅)はあまり良いとは言えないので、自分の事を差し置いて他人の落ち度を責めるのはどうかと思って、今は自制しています。
なぜJTはタバコのフィルターは生分解性のある素材にしないんでしょうかね。
技術的な問題か、コスト的な問題か、或いはそうすることでもっとポイ捨てが増えるからか…、とにかくJTにはもっと啓発広告をやって欲しいです。

さもないといずれレジ袋と同様に喫煙そのものが禁止される世の中になるかも知れません。
私自身タバコは吸いますが必ず(敢えて絶対とは言いません。☺️)灰皿のあるところで吸います。
あと私が憂慮しているのが自然豊かな山や川の方がゴミが多いということです。
人が住んでる市街地ではまだ、ゴミを拾う人も少数ながらいます。(自分の家の前でさえ拾わない人も結構います。)
ですが人が住んでない郊外(河川敷とか山あいの道路沿い)では、ゴミは捨てられる一方です。地元の河川敷では年に1~2回くらいは市民による清掃活動がありますが、100Km以上ある河川のわずか数kmでしょう。
そんな世の中の状況ですが、海外渡航の経験がある人(私はありません。)に言わせれば「日本はキレイな方」らしいので、外国はどんなにひどいのかと思います。

普段ゴミの件について話し合う相手がいないので長くなりました。(ですが言いたいことのごく一部です。)今回運営されておられるサイトに行き着いたのは、「メジャーリーガーの大谷君はグラウンドでプレー中にも落ちているゴミを拾う。」というネットの記事からです。私は野球は嫌いですが(好きだったらご免なさい)、大谷君は以前から好感を持っていて、それを読んでますます好きになりました。
ご存じかも知れませんが、「ピリカ」という、SNSを利用してポイ捨てを無くす活動をビジネスにしている会社があるみたいですね。仕組みはまだよく分からないけれど、私も世の中をキレイにすることが事業にならないかなあとよく空想することがあるので、それを実現している会社があることに驚き、そして希望を見いだしました。宮崎さんのような方の存在も希望となります。どうかお身体に気を付けて頑張って下さい。それでは失礼致します。

このメールの更新の公開がどういう意味をもたらすのか、はっきり言って、分かりません。ポイ捨てゴミを無くそう、街を美しくしようという思いを持っている人間が、効果のない、意味のない、交信をしているだけと思われる方もいるでしょう。

どんなに思われても、私は、嬉しいのです。枝葉末節で、多少の違いがあろうとも、本質において、志や、思いが同じ人がいることを知りえたことと、場所や、時間も、年齢も、男や女に関わらず、自分の国の日本と、将来の子供のために、美しい環境を残そうという思いの人が今一人、見つかったことが、嬉しいのです。

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